オレについて
オレと家族について
文京区在住の現在大学三年生。
好きなものはプーさんと盛り上がりの末の酸欠状態と小説と現実逃避。嫌いなものは炭酸飲料と将来に対する漠然とした不安と自分を特別だと思っている人。
比較的器用・お調子者・外弁慶・ぬいぐるみ依存の父、不器用・倹約家・心配性・保守的哲学者の母、
美的、芸術的センス◎・内弁慶・ぬいぐるみ依存・底なし体力の姉、顔◎・サイズ◎・人懐っこさ◎・性格△のトイプードルのぬいぐるみのらぶちゃんの四人一匹家族。
他にもぬいぐるみはたくさんいるが、らぶちゃんの存在感が群を抜いているため、
らぶちゃんのみの紹介にとどめた。現在は姉は金沢で働き始め、両親と他一匹は名古屋にいる。
家族仲は良く、特に姉との関係は非常に良好。仲が良い。とても。二人でフィリピンに旅行に行ったとき、
agodaで予約した宿が完全にラブホテルだった時も笑ってAVを見ようと試みるくらいには
仲が良い。ちなみにそのホテルは、壁に不自然なマジックミラーが貼ってあり、その奥は間取り的に不自然なスペースがあったので、
多分盗撮されていた。まあ部屋を一歩出ればホームレスがわんさかいるような場所だから当然だろう。
だじょんって何
小さい頃に自分のことを「だじょん」と呼称していた。いつ頃からいつごろまで続いたのかは定かではないが、
「おれ」でも「ぼく」でもなく、「だじょん」と名乗っていた。両親曰く、全く心当たりのない文字列だという。しかしその当時の自分は自分をだじょんだとして譲らなかったそうだ。
あなたは前世を信じるだろうか。信じない人でも、自分の前世を想像したことはあるだろう。あるに違いない。ここで自分がはっきり言わせてもらおう。
前世は存在する。
さもなければ日本生まれ日本育ちの丸顔が自分をだじょんだと信ずることができるだろうか。否、そんなことは前世の存在なくしてはあり得ない。
だから自分の前世の名前はきっとだじょんなのであろう。そしてそのだじょんも(完全に自分より年上なので、だじょんさんというのが正しいのか?)彼もしくは彼女なりの悩みがあり、
葛藤と快楽を追い続けながら毎日を過ごしていたのだろう。
満足に食べられない生活を送っていたのかもしれない。あるいは、
悪事に手を染め、更生できないまま一生を終えたのかもしれない。あるいは、有り余る富の使い道を決めあぐねていたのかもしれない。
いや、きっとそのどれにも属しているといえないような、平凡な人なのだろう。
では、そんな平凡な人生だったとして、そんな人生に意味はないのか?そんなことはない。少なくとも、彼もしくは彼女が生きた人生を何の手がかりも根拠もなしに想像している人間が
今パソコンの前に一人いる。そして、ウェブサイトのタイトルに引用するような斬新な文字列を与えてくれたことに感謝をしている。それだけで充分というと傲慢だが、
自分が死んだ後に世界中のどこかでこんなことを考えている人間がいたらそれはなんて面白いことだろうと思う。死後に自分の名前を冠したウェブサイトが立ち上がっていたら、
毎年お盆になるたびに名古屋に帰ってパソコンを開き、そのサイトを見ることだろう。
時々そんなことを考えると生きている意味というのが実感できるような気分になる。
そして何より、熾烈で愉快な先の時代を生き抜いただじょんさんに今こう言いたい。
ありがとう。
オレのすごいところ
- 嫌いな食べ物がないという舌の機能不全具合と胃長の強さ
昔はアサリが嫌いだった。小学生の時に家族ぐるみの付き合いがあった友人と潮干狩りに行き、大量のアサリを家に持ち帰った。
その次の日の朝、母親がアサリで出汁を取った味噌汁を作ってくれた。今考えれば朝食べるにはありあまるほどの御馳走である。
しかしその当時の自分の舌は全くアサリを受け付けなかったため、それを一口飲んで顔をしかめ、全て残してしまった。
あのときの母親の切ない顔はいまだに脳裏をよぎる。ごめんなさい。
しかしそこからだんだんと嫌いな食べ物という概念がなくなってきた。高校生になるころには何でも食べられるようになった。
食べ物がまずいという感覚を久しく味わわずに過ごしていた。一番最近で食べ物をまずいと思ったのは、フィリピンで食べたバナナの砂糖包み焼き
のような屋台の食べ物だ。フィリピンでバナナなのだから絶対においしいだろうと思ったが、全くまずかった。甘味は全くなく、
触感はぱさぱさであり、木の幹をそのまま食べているようだった。遠慮がちに言っても最低の味だった。ここまで書いて気づいたが、フィリピンで食べたこれが唯一の嫌いな
食べ物なのかもしれない。
- 今この時に集中し、先のことを全く考えないようにする精神の強さ
昔から類を見ないほどの楽観主義者だった。今もそうである。今この場の楽しさだけに注力し、そのあとのことは何も考えなかった。
小学生の時にパソコンで調べ物をする授業の時には他ごとをしてしこたま怒られ、図書室で授業とは関係のないマンガを読んで
そのまま教室へ返された。一人教室でクラスのみんなの帰りを待っていたあの感覚は二度と味わいたくないものだ。
その時は大人に怒られる程度で済んだのだが、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、中学、高校、そして大学と進学しても何も治らなった。
その結果が、留年である。自分の人生観の集大成と言えるだろう。小さい頃からの努力(というか天性の才能)が実を結んだ瞬間だった。
留年が決定したときのあの得も言われぬ感情ったらない。一言で言えば、最悪である。
人というものは不思議で、自分のことを客観的に見ることは難しいらしい。そこに来て初めて自分の致命的な欠点に気づいたのだ。
今知ったとて遅い、というタイミングで物事は判明するのだ。不愉快極まりない。
ちょっと待ってほしい。オレのすごいところを書く欄ではなかったか。これではまるで楽観主義を盾にした後先考えられない中坊の言い訳ではないか。
まあ物事捉えようである。明日には治っているだろう。
